ソフィーの手元には、ページが黄ばみ、ところどころにシミのある1冊の本があります。
1987年に出版された千葉敦子著『ニュー・ウーマン』(三笠書房)です。
ジャーナリストの千葉敦子さんが女性に向けて書いた、この啓発書を読んだのはソフィーが大学3年生のときでした。
カバーの見返しには『手帖の選び方から賢い時間活用・情報整理のコツ、自己投資の方法、キャリアの築き方、そして素敵な恋との出会いまで―毎日毎日をたっぷり楽しみ、充実した人生を送るための前向き生活術の秘訣をアドバイス。女性のための「仕事」と「暮らし」のガイドブック』とあります。
女性も自分の生きがいとなる仕事を持ち、自立し、人生を楽しみ、すべての局面において自分の責任で選択をした人生を送るべき、という力強いメッセージに衝撃を受けました。
当時は女性も大学を卒業したら就職するのは当たり前の時代にはなっていましたが、ある程度の年齢になれば結婚して子供を産むのが女性の幸せという固定概念は根強く残っていました。
そして男性にとって結婚相手は若いほうがよく、25歳を過ぎた女性は12月25日に売れ残ったクリスマスケーキと同じように価値がなくなると言われていたものです。
ソフィーも大学を卒業したら就職はするけれど、売れ残りのクリスマスケーキになる前に結婚して子供を生んで幸せな家庭を築き、夫となる人に頼って生きることを夢見ていましたし、仕事を続けることはあまり考えていませんでした。
当時のソフィーが、大学の生協で見つけたこの小さな本(縦15センチ、横10.5センチ、274ページ)を読んで、びっくりしたのは次のようなことでした。
- 定収入なしのフリーランスという生き方。
- 毎月の支払いを済ませ、当座必要な金額を取り置いたら、残りは寄付していること。
- 人のまねをせず、自分の価値観に基づいてお金を使うこと。
お金をかけるのは、毎年数週間海外で過ごす休暇、毎週行く音楽会や芝居のチケット代、毎週土曜日に開くパーティー費用、毎月30冊と旅行中に買う100冊の本代。そして絶対にケチらないのは恋愛にかける費用 - 例えば国際電話代金。逆に人と比べてお金をかけないのは、不動産、宝飾品、化粧品、服、車、家具。 - たまにしか使わないものは貸し借りする。例えば別荘は友人から借りる。大きめの食器、スーツケース、ミシン、クレープ焼き器は友人が必要なときに貸す。
- 乳がんの治療をしながら働き続けていた。友人や家族の助けを借りながらも、自立した生活を守っていた。
- 職住接近の生活で時間を徹底的に節約する。
- 闘病中に念願のニューヨークに移り住み、ジャーナリストとして活躍していた。
- 新卒で入社した新聞社で婦人家庭部に配属されることになったが、自分のキャリア計画が狂うことを理由に、ニュース取材部門への配属を希望して上層部を説得した。
- 女の生きがいを、子を産み育てるという行為をのり越えたところに見出すべきという考えかた。
- 子どもを持ちたい人は、他の人が生んだ子どもを育てる、つまり養子でもよいではないかという考えかた。
- 一夫一婦制は不自然な制度。排他的な関係を否定し、男女は自由に恋愛し束縛し合わない関係を作るべきという考えかた。
- 一生結婚せず、一か所に根を下ろらず、不動産などの財産にしばられず、世界中を旅行し、多くの経験を積んで、ものを書いて生きるというライフスタイル。
そして仕事をするうえで指針となったのは次の点です。
- キャリアを築くためにスペシャリストとしての腕を磨き、組織人としての実力を養うこと。
- キャリアのために英語が自由に使えることは重要な武器。普通の教育を受けて6年間英語を勉強をして、英語を使えないのは、使えない方がおかしい。
- 自分への投資は盛大に行うこと。
結婚自体を否定し子供も生まなくてよろしい、パートナーに縛られるのもいや、という千葉さんの考え方を受け入れられたわけではありません。
でも世界をまたにかけた仕事をすることはかっこいいし、何事にも縛られず、好きな仕事をして、好きな場所に住んで、自立して自由に生きるという生き方には憧れ、かなり影響を受けたのは事実です。
そして、英語を身に付けて専門的な仕事をしたい、留学したい、外の世界を広く見てみたい、と強く願うようになりました。それから37年経った今、その誓いを振り返ってみると。
英語はそこそこ身に付けました。
大学の図書館司書というそこそこの専門的な仕事にもつきました。
海外で英語を使って図書館関係の専門的な講義をしたり、国際会議で発表をすることもありました。
けれど、留学はとうとうできませんでした。
経済的な理由が大きかったのは事実です。
一生懸命貯金はしましたが、東京での一人暮らしの20代女性が、それほど貯められるわけもありません。
他の理由としては留学して何を学ぶのかがはっきりしなかったということがありました。
司書の仕事をしていたのだから、本場のアメリカで図書館学を学んでみたい。
でもその先どうするんだろう?という不安があったのです。
留学するとしたら、仕事を辞める必要があります。
でも留学先で図書館学を学んでも、日本に帰ってきてまた大学図書館で働ける保障はどこにもありません。
では、図書館学を除いて他に学びたいことがあるのか?と思ったとき愕然としました。
自分の中に「これだ!」と思えるものがなかったのです。
とりあえずアメリカに行って英語を学び、その過程で興味が出たことを学べばいいのでは?という考えもあるかもしれません。
でも、そういうぼんやりとした自分探し的なことのためにお金を使う余裕はソフィーにはありませんでした。
それに、実家が日本の北のはずれにあるソフィーにとっては、アパート暮らしを引き払うことを考えるだけでも気が遠くなりそうでした。
留学を強く望んではいたけれど、そのための実力も、決め手になるほどの理由も勇気もなかったということです。
そうこうしているうちに20代も終わり、今の夫が現れて結婚することになったのでした。
学生時代に願ったことを100%実現することはできませんでしたが、千葉さんの考え方の影響を受けてよかったと思うことはあります。
たとえば、結婚をあせることもなくキャリアを十分に積んで30歳で結婚し、60歳手前の今でも仕事を続けています。
一人でも自立して生きていくことは十分できます。
それから子供ができなくても特に思い悩むこともなく生きてきました。
20代、30代のころ、周囲の友人が結婚できなかったり、子供ができなかったりすることに焦り、悩み、傷ついているのを目の当たりにしてきました。
そんなときでも「どうしてそんなことで悩んでいるんだろう?」「もっと大切なこと、楽しいことが人生にはいくらでもあるのに」くらいに思っていました。
逆に、知り合いや友人たちに「早く結婚したほうがいいよ」と言われたり、子供を作るよう勧められたり、アドバイスをしてくるのには、閉口しましたが。
そういう、世間的な固定観念や呪縛のようなものから解き放たれて、悩むことなく精神的に自由な状態でいられたことは何よりの宝だと思っています。