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ブックレビュー 『妻のトリセツ』黒川伊保子著 講談社 2018年 

なぜ夫と妻の気持ちはすれ違うのか。
その疑問を脳の性差から解き明かす本書。

妻のトリセツ (講談社+α新書 800-1A)

《★45万部突破!》 《★2019年間ベストセラー新書2位! 総合7位!》 《★待望の『夫のトリセツ』も発売中!》 「徹子の部屋」「行列のできる法律相談所」「世界一受けたい授業」「ザワつく!金曜日」「スッキリ」 「情報ライブ ミヤネ屋」「林先生が驚く初耳学!」「羽鳥慎一モーニングショー」「ノンストップ!」 ほかテレビ・雑誌で大反響! 理不尽な妻との上手な付き合い方とは。 ...

読んで「そうそう、そうなんだよ!」
「ああ、そうだったのか!」
と、何度も目からうろこが落ちました。

ということで、自分の体験と重ねながら『妻のトリセツ』の衝撃ポイントを紹介します。

衝撃ポイント1 全ては「種の保存本能」で説明がつく

まず人間の脳の大前提。
脳は種の保存、つまり子供を産んで育てるのに都合よくできているということ。

女性脳は子供を産み育てるのに有利なように。
男性脳は家族を守り繁殖させるのに有利なように。

「何を男尊女卑みたいなこと言ってるんだ!」と思われるかもしれません。
ソフィーもそう思います。
でも、ひとつひとつの具体例を見ていくと妙に納得感が得られるのです。

女の会話に無駄話はない

女性のとりとめのない話は要点がなく意味がないと思う男性は多いと思います。聞いててイライラする人もいるようですね。
でもそれは「人類という種」の保存になくてはならない能力だったんです。

女性脳は感情に伴う記憶を長期保存し、それをみずみずしく取り出すことに長けています。
その記憶は「感情の色合い」ごとに分類して収納されています。
だから、あることに心が動くと、同系統の色合いの感情に分類された記憶が、数珠つなぎで引き出されるそうです。
男性にとって解決済みと思っていた過去のケンカの原因を、全然関係ないときに引き合いに出されて責めてくるのはそのせいなのです。

類似感情に伴う体験記憶を何十年分にもわたって取り出すことができるこの能力。
これは子育てのために装備されているというのです。
どういうことかというと。
人類は一個体が残せる個体数が少ないため、経験値が乏しいです。
だから、目の前で新しい問題が起きたときに「人生の記憶を総動員して瞬時に答えを出す機能」が必要です。
たとえば、赤ちゃんに熱が出たとき。
過去に焦ったとき、不安を感じたとき、友達の同じような体験談を聞いてハラハラしたとき、そんな感情とともに膨大な体験記憶を引き出しながら対処しているのです。
そのために、膨大な体験記憶に「感情」というタグをつけて保存する能力が培われたようです。

そして「共感」する力によりその能力は補強されます。

共感は女性脳にとって知的行為の核でもある。
女性脳は、体験データ(記憶)に感情の見出しがついているので、ある感情が起こった時、その感情の見出しをフックにして、類似の体験データの数々が芋づる式に一瞬で引き出される。
面白いのは、他人の体験であっても、共感して感情の見出しがつけば、自分の体験と同じように扱える点だ。
他人の体験談を「とっさの知恵」に変えるのが、共感という行為なのである。
女友達が「階段でつまづいて、転びそうになった怖さ」に共感すれば、自分が同じような先の細いパンプスをはいて影木の階段を下りるときには、無意識のうちに手すりのわきを行くことになる。
オチのない話が、明日の自分を救うのだ。
男たちの言う「女の無駄話」が、子どもたちを危機から救い、夫の将来の介護に役立つ。
女の会話に「無駄話」はないのだ。
女性脳は、この重要性を知っている。

『妻のトリセツ』 23~24ページ

男性脳にとって、会話は問題解決が主たる目的です。
だから、「階段でつまづいて、転んだ話」ならまだしも、「階段でつまづいて、転ばなかった話」をする意味がわからないんだそうです。
でも、女性脳にとっては「階段でつまづいて、転びそうになった怖さ」を共有することが大切なのです。
なぜって「共感力」があるから。
その「共感力」を恐怖の感情に醸成させ、自分の体験のように記憶保存し、将来の自分を、ひいては家族を守るのです。
つまりそれが種の保存に効いてくるのです。
男性にとってムダとしか思えない、オチもなく解決策にもつながらない女性の井戸端会議。
しかしそれは、人類を種として保存するための高度に洗練された行為だったのです!

女性は体調の変化に敏感

女性は自分の体調変化を男性の何十倍も敏感に感じているそうです。
なぜなら、哺乳類の雌は自分が健康で快適な状態でないと子孫が残せないから。

自分を大切にすることは、そのまま種の保存につながる。
種の保存は、生物におけるもっとも基本的な本能である。
したがって、自己保全に対する要求は、哺乳類のメスのもっとも大切な本能なのである。
ちょっと寒ければ寒いと騒ぐし、ちょっと暑ければ暑いと文句を言う。
おなかがすけば不機嫌になるし、足が痛ければ歩けないとのたまう。

『妻のトリセツ』 110ページ

ソフィーが特に敏感なのは、寒さと痛みです。

たとえば、気温20℃未満になると寒さを感じます。
18℃を下回ると手足が冷えて辛くなってきます。
関東地方に住んでいるソフィーは年間の半分以上を「手足が冷たい」と感じながら生活しています。

それから痛み。
たとえば料理中などに思いがけずざっくりと指を切ったとき。
痛みの衝撃で血圧が下がって目の前が真っ白になり立っていられなくなります。
たとえば注射を打つとき。
普通の注射針の痛みならそれほど苦痛は感じません。
けれど体が受容する以上の速さで注射液を注入されると、筋肉がえぐられているのかと思うほどの痛みを感じます。
また、アブに手のひらを刺されたときは床をのたうち回って痛がりました。

夫に言わせると「ソフィーはおおげさ」なんだそうです。
そう言われるたびに「そんなことないよ、本当にとんでもなく痛い(寒い)んだから」と返答します。

けれど一方で「こんなに痛がる(寒がる)の、私だけなんだろうか?」とも思っていました。
そんな疑問が、これを読んで腑に落ちました。

もちろん、全ての女性がソフィーのようではありません。
多少気温が下がっても手が温かい女性もいますからね。
けれどそういう人は敏感ポイントが他にあるんだと思います。

種の保存本能

ほかにも、男性にはない能力、たとえば
・身近なものに対する観察力
・勘の鋭さ
など、性差の特徴とされているものは種の保存本能で説明がつくことがわかりました。

衝撃ポイント2 男性の「拡張感覚」について

本書では人間が持つ「拡張感覚」なるものが紹介されています。
それは「道具を自分の手足のように使うこと」です。
道具は、自分ではできないことをするために使います。
あるいは自分の手足の能力を補強するために使います。
または自分自身の労力を減らすために使います。

だから男性だけが持つ感覚ではありません。
女性だって車や自転車を運転したり、包丁、ピーラーを使って料理したりします。
女性だって日常的に道具を使って拡張感覚を味わっているのです。

けれど空間認識力が高い男性の拡張感覚はそれより一段上のレベルをいっています。
なんと、道具を自分の体の一部と感じる能力があるのだそうです。

だから男性はまるで神経がつながっているような感覚で車やバイクに乗り、道具を使います。
道具を使って自分の能力をはるかに超えることをすることは、男性にとって自分の体を使ってやったことと同等のことだったのです。

男性脳がそんなことになっていたなんて全然知りませんでした。

そういえば、男性はバイクで何かを踏んだとき、自分の足で踏んだ感覚になると聞いたことがあります。
たぶん、女性にはそんな感覚はないんじゃないでしょうか。
道具を使いこなすことはあっても、それはあくまでも道具です。
少なくともソフィーには道具と神経がつながってるかのような一体感はありません。
一方、女性は自分の赤ちゃんが注射を打たれるとき、赤ちゃんと一緒に痛みを感じているような気がしているのではないでしょうか。
それは共感力ですね。

ソフィーは、無抵抗の者が一方的に暴力を受けたりいじめられたりする映画のシーンが超苦手です。
その痛み辛さを自分のもののように感じてしまい苦しくなります。
もちろん、本当に痛くなんかありません。
でも、痛いと感じるほど苦しくなります。
だから「やだやだやだ・・」と言って目と耳をふさぎます。
夫にとっては大げさに感じるようです。
男性はむしろ暴力をしている側に立って全能感を味わうのかもしれないと思いました。

男性の一体化能力と女性の共感能力。
その辺にあらゆることへの理解に通じる糸口がありそうな気がしてきました。

男性脳は妻まで自分と一体化してしまう

男性は、どうやら長く一緒に暮らしている女性を、その能力を使って自分の一部のように感じてしまうらしいです。
自分の体をわざわざ褒めないように、自分と一体化している妻をわざわざ褒めたりはしないのだそうです。

これもソフィーにとっては衝撃ポイントだし、一番「わかる~」となったところでした。

夫の一部になってしまった妻は、男にとって、一体化すればするほど、愛の言葉ももらえないし、一生懸命料理を作っても「美味しい」ともいわれず、髪を切ってきても「いいね」のひとこともないと嘆くことになる。
夫たちよ、褒めることなど思いつきもしないほど一体化した妻に、もし先立たれでもしたら?
きっと体の一部をなくしたかのような喪失感があるはずだ。

『妻のトリセツ』 127ページ

これですよ、これ。
妻を失った男性が「体の一部をなくしたかのような喪失感」を味わうこと。
自他含め、ここにピーンとくるエピソードが次々と浮かんできます。

ソフィーの交通事故エピソード

ソフィーは車の運転が苦手なのですが、別荘に出かけるときは分担して運転します。
助手席にいる夫は、ソフィーの運転を細かくチェックして、難癖をつけてきます。
ブレーキを踏むのが遅い、判断が遅い、高速の出入り口付近で走行車線に変更するな、前の車との車間を考えろ、一定の速度で走る、などなどそれはそれはうるさいのです。
そして、少しでも気に食わない運転をすると、罵詈雑言が飛んできます。

これはきっと、自分の手足(である妻)が、自分が思った通りに運転できないことに対するいら立ちなんですよね。

ある夜、二人で別荘に向かっていました。
ちょうどソフィーが運転していたとき、高速道路で突然後続車から追突されました。
いわゆる「おかまを掘られた」状態です。
正面衝突でなかったので大事には至りませんでしたが、ぶつかったときにはそれなりに大きな衝撃を受けした。
びっくりしたと同時に、いつものように夫が「何やってるんだ!」と怒り出すのではないかと身構えました。
ところが夫はどちらかというとしょんぼりとしています。
そして何度もソフィーに「大丈夫?」と聞いてきます。
ふだんあれだけソフィーをアゴで使い、怒ると人格否定するような言葉を浴びせてくる夫がです。

きっと、事故で自分の体の一部であるソフィーを失うことを想像して恐怖に震えていたんでしょうね。

夫のために少し補足しておきます。
結婚して25年以上たちますが、夫は愛情表現を普通の男性よりは大げさにしてくれます。
毎日ソフィーに「大好き!」と言ってくれるし、朝と夜にギュッと抱きしめてくれます。
愛してくれているのは確かです。
だから、一体化しているゆえにソフィーをアゴで使ったり、罵詈雑言を浴びせるのは別の次元のことなんでしょうね
きっと。

ソフィーの両親 アルコール依存症の母

それからすでに他界した父のことですが。
両親はそれなりに仲の良い夫婦でした。
何よりも父は母を愛していました。

けれど家族は大きな問題を抱えていました。
母のアルコール依存症です。
家族で何度も話し合い、対策を考え続けたけれど結局解決はしていません。
父は自営業で、住み込みで働いている人もいました。
だから、家では大勢の人が毎日、朝・昼・晩の3食を食べていました。
繁忙期には多くの人が働きに来て20人近くの食事を用意することもあります。
その食事作りの役割を担う母がアルコール依存症だったのです。

母はシラフであれば、楽しく朗らかで、料理上手、おやつのお菓子だって手作りするような人でした。
けれど一度飲みだすと、もう何もできなくなります。
できないどころか、家の中はぐちゃぐちゃになるし、他人にも醜態をさらしては家族に悲しい思いをさせていました。

父はそんな母に対して、根本的な治療を施すこともなく、悪い状態の時期やり過ごすという方法で、だましだまし一緒に暮らしていました。
世間体もあったでしょう。
けれど、1日でも母がいないと自分の生活が回らないということも大きかったと思います。
そんな父を、なんて自分勝手で自己中な人だと思っていました。

家事を一切やらない父は、家のことは何でも母に任せていました。
自分でやればできる、ささいなことすら、母にやらせていました。
たとえば、自分が使うものを取ってくるということです。
爪楊枝、飲み水、文房具、そういったものを、わざわざ母に自分の手元まで運ばせるのです。
もちろんそれを自分で片づけることもありません。
ソフィーは、それを見るたびに、はらわたが煮えくり返るほどの怒りを感じていました。
だって、そうやってささいなことで負担をかけるから、母だって疲れてしまうんです。
自分でできることは片付けまで含めて自分でやってほしい。
父にそのことを伝えても、まったく聞く耳を持ちません。
それなりの社会的地位も教養もある父が、どうしてわかってくれないのか、理解不能でした。
今思うと、父にとって母は自分の手足なんだから、必要なものを持ってきてもらうのは当たり前だったんですよね。

母が70歳くらいのとき、父の反対を押し切って母を3か月入院させたことがありました。
その時の父の落ち込みようはすごかったです。
一日中ソファの上に横たわって、ぼうっとして過ごし、お風呂にもほとんど入っていなかったと思います。

母は病識が足りないがゆえに一度の入院では治すことができず、2~3回入退院を繰り返しました。
結局病院で屈辱的な思いをしたことを理由に退院して帰ってきてしまいます。
そして完治しないまま、残された家族の苦悩は続いています。

一体化された存在であることを飲み込むのは太古からの知恵

そういえば、聖書の創世記に神が男のあばら骨で女を造られたと記述されています。
女を見て男は言います。
「これこそ わたしの骨の骨、わたしの肉の肉」

そんな大昔から女は男の体の一部として扱われていたのですね。
けれどもソフィーはそれは概念的なことであり、男が本当に女を体の一部と感じてるなんて知らなかったです

両親の話に戻ります。
母は母で、自分がいなくなった時の父の喪失感を利用して、自分に都合の悪いことをしなくても済むよう、くぐり抜けてきたと思います。
たとえば病院に行くこと、入院すること、断酒することです。
自殺や家出をほのめかすだけで、父は震えあがり、はれ物を触るように母を扱っていました。
はたから見れば、母が自殺や家出をすることなんてないのはわかるのに、当事者にとってはいまにも起こりそうな事件だったようです。
母がいなくなることは、父にとって腕をもがれるほどの恐怖体験だったのでしょう。

一見女性にとって、夫に一体化されることは屈辱的なことのように思えます。
けれど、それを逆手に取って舵を取ることもできるのです。
アゴで使われているようでいて、実はうまく夫をコントロールして転がす。
これは古くからあるオンナの知恵です。
しかも、夫の深い部分にある喪失感に隠れた恐怖心を利用して。
女性ってしたたかですよね。

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